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152mm加農榴弾砲D-20()とは、ソビエト連邦が1950年代前半に開発した榴弾砲である。西側諸国がこの砲の存在を確認したのは1955年であることから西側ではM1955とも呼ばれる。 == 概要 == この砲は第二次世界大戦前に開発されたML-20(M1937) 152mm加農榴弾砲を更新するために設計され、ソビエト連邦軍を始めとして東側諸国の多くの国に売却ないし供与された。 中華人民共和国ではD-20は62式牽引式152mm榴弾砲の名称で呼ばれ、改良を加えて66式152mm榴弾砲の名称でライセンス生産され、66式の改良型の66-I式152mm榴弾砲が開発された。また、321型共通車体に66式を旋回砲塔形式で搭載した、83式152mm自走榴弾砲が開発された。 ユーゴスラビアでも砲身延長などを図った改良型のM-84 NORA-Aが生産された。 この砲は中印国境紛争、印パ戦争、中ソ国境紛争、ベトナム戦争、第三次中東戦争、第四次中東戦争、中越戦争、ソ連のアフガニスタン侵攻、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争など世界中の戦争・紛争で使用された。 2S3アカーツィヤ 152mm自走榴弾砲の主砲もこの砲の改良型が使用されている。現在のロシア連邦軍では新型の2A65 152mm榴弾砲に更新されつつある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「D-20 152mm榴弾砲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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